長女の妊娠期に重症妊娠悪阻になり、3ヶ月休職してしまった時の体験談です。
「つわり いつまで続く」
「重症妊娠悪阻 いつまで」
「重症妊娠悪阻 原因」
そんなワードを毎日のように検索しながら、いつ終わるか分からない吐き気と船酔いのような症状に絶望感を感じていました。
そんな私の体験談です。
つわりが始まった時の症状と、休職に至るまで
妊娠7週目でつわりが始まる
初めての妊娠検査薬で出た二本の線、初めての産院、そして6w5dに心拍確認。
6週目までは「ちゃんと育つかな?」という少しの不安と、「早く会いたいな」という期待で心を躍らせていました。
私の母親が、「私は入院するぐらいつわりが酷かったよ」と言っていましたが、「私は平気かも♪」なんて思っていました。
なんなら心のどこかでつわりなんて個人差はあれど、気の持ち用もあるんじゃない?とまで思っていました。(あの頃の自分マジでぶっ飛ばしたい)
そして7週半ばぐらいで、初めて症状が出たのです。

あれ・・・。なんかめっちゃ眠いし、ちょっと気持ち悪い・・・。
この頃は会社でフロアのリーダーだったので休むという選択肢はなく、「ちょっとぐらい無理すればなんとかなるでしょ・・・。」ぐらいの感覚でした。
仲がいい同僚に妊娠報告はしましたが、会社への報告は安定期に入ったらする予定だったので、つわりが始まって2日ぐらいは無理しない程度に無理していました(笑)
布団から起き上がれなくなる
つわりが始まって3日ほど経った日の朝、私は布団から起き上がれなくなりました。
その時の症状はめまいと吐き気と強い眠気でした。
前日は会社でちょっと嫌なこともあり、少し疲れてるのかな・・・。なんて思いました。
1日休めば回復するであろうと、その日は体調不良でお休みをいただき安静に過ごすことにしました。
会社に妊娠を報告
お休みをいただいた次の日。



あんなに安静にしてたのに良くならないどころか、昨日より気持ち悪い・・・。
嘔吐まではないものの、行動とは裏腹に悪化する症状に戸惑い、トラブルの翌日からの・・・という流れだったので、誤解を招かないように上司に報告することにしました。
幸い、「そうなの!?おめでとう!お大事に!」と理解を示してくれたので、その日も休むことになり、金曜日だったので「プラスであと2日休めば少しは体調もよくなってるかな・・・。」なんて思いながら、その日も安静にすることになりました。
初めての嘔吐、そして長期休職へ
翌日、旦那さんと私の母と一緒に数か月前から予定していたブライダルフォトの打ち合わせに出かけました。
つわりの症状は前日と変わらずでしたが、短時間だし気分転換にもなるから大丈夫であろうと思い、ぐったりしながら車に乗ったのを今でも覚えています。
ドレスは決まったものの、私のつわりが心配ということで撮影は延期になりました。
そして、帰りにうどんを食べに行くことになり、



うどんならさっぱりしてるし大丈夫やろ!
と思っていましたが、帰宅後そのうどんを盛大にリバースしました(泣)←うどんを食べていた方ごめんなさい!
そして、そのまま症状は回復するどころか悪化する一方で1週間、2週間と時が経ち、最終的には3ヶ月お休みをいただくことになりました。
重症妊娠悪阻の始まりと終わるまでの経緯
なかなか気が休まらなかった初期のつわり
妊娠8週目までは、1日2回の嘔吐と極度の眠気に襲われていました。
今思えば症状だけで見ればまだまだ序の口でしたが、しんどいのには変わりなかったです。
しかし、多忙な日常を送っていた私にとって、いきなり休むということに抵抗感と罪悪感を感じていました。
そのためか、旦那さんに頼まれたわけでもないのに、ほんの少しでも身体が動く日は家事をやってみたり、なかなか気が休まらない日々が続いていました。
入院に迷った末、自宅療養を選択
9週以降になると症状が急激に悪化。熟睡できている時以外はずっと船酔い状態。1日に12回吐いた日もあり、最低でも1日に5回は吐いていました。
ピークは妊娠12週目ぐらいで、 食べたら吐く、飲んだら吐くの繰り返しで水も何もかもすべて吐いていたので、最後は胃酸も吐いて緑色の吐しゃ物になっていました。胃酸の影響で喉から血が出ていたことも。
症状があまりにも重かったので、分娩予定の近くのクリニックで点滴を打ってもらうことになりましたが、ベッドが空いていないのでつわりでの入院は不可とのこと。入院が必要なら近くの大きい病院に紹介も出来るとも言われましたが、
- 点滴を打ったところで症状が和らぐわけではない
- ベッドからトイレまでの距離が自宅よりも長くなる
- 入院費がかかる
- 症状は重いが、母子ともに命にかかわる状態ではない
上記の理由から、自宅での療養を選択しました。



でも、今思えば診断書を書いてもらって傷病手当金が申請できるかぐらいは相談すればよかったかも…。
▼ この期間中のお助けアイテムと、楽になった言葉は以下にまとめています ▼


ティッシュの消費が半端なかったよだれつわり
妊娠15週目以降になると、少しづつ吐き気と船酔いの症状は落ち着いてきました。
しかし、飲み込めない量のよだれがドバドバ出てくるように。
起きているときは空のペットボトルによだれを捨てて、寝ているときはずっと口の中にティッシュを詰め込んで対処していました。
嘘のように消えた症状と職場復帰
17週目になり、初めて何も吐かない日が来ました!
つわりが終わったころには妊娠発覚時よりも体重が9kg減っていました。
「つわりが終わったら好きなものを食べるぞー!」
と思っていた私は、大好きなお寿司は出産まで我慢していたものの、それ以外のありとあらゆる好物を食べ尽くしました!



食べれるって幸せ!生きててよかった!
延期していたブライダルフォトも無事終えた後、無事職場に復帰することが出来ました。
周囲の理解は?家族の対応と休職中の会社の反応
旦那さんと実母が身の回りのお世話をしてくれていた
基本的に、家事は旦那さんがやってくれていました。
旦那さんは元々一人暮らしの期間が長かったので、私よりも断然家事は得意です(笑)
その他、着替えのお手伝いや産院までの送迎、髪の毛をドライヤーで乾かすなどの身の回りのお世話も、帰宅後は旦那さんがやってくれていました。
そして、我が家はメゾネットタイプの建売住宅を購入し、その隣に私の家族が引っ越してくることになりました。
私のつわり期間と実家の引っ越し期間が重なっていたので、荷物を運ぶついでに買い出しや昼間の身の回りの世話などは母がやってくれていました。



旦那さんも私の症状に理解があり、母も重症妊娠悪阻経験者だったので献身的にお世話をしてくれて、本当にありがたかったです。
取引先の人からかかってきた心ない電話と、私を救った旦那さんの一言
お休みをいただいてしばらくして、取引先から電話がかかってきました。取引先といっても関連会社なので、失礼を気にする間柄ではないのか、言いたい放題言うタイプの人でした。
俺の嫁の時は平気だったんですけどね。つわりは病気じゃないですよ。
その後は、つわりの時におススメの飲み物(全部吐きましたけど)だったり、過ごし方だったり知ったかぶったようなお話(笑)を色々してくれましたが、正直全く頭に入ってきませんでした。



私だって休みたくて休んでるわけじゃない!
ましてや男の人にこの気持ちが分かるわけがない!
ただでさえ吐き気と眠気で意識ももうろうとしている中、悔しい気持ちでいっぱいになりましたが、帰宅後の旦那さんにこの時の話をすると、
俺はなっちゃんを近くで見てるから、本人の意思と程度にもよるけど、
つわりの人がいたら率先して必要な手続きを手配するだろうな
という言葉を聞けたので、つわりで肩身の狭い思いをする女性が減ったかと思うと、私の経験も無駄ではないと感じることが出来ました。
電話の人以外は、みんな理解してくれていた!
電話の件があり、「職場に戻りたくないな・・・。」なんて思っていました。
気を利かせてくれていた会社の人たちとは休職期間は特に連絡をとる機会もなかったので、「みんな、たかがつわりで休んでると思っている」と思い込んでいました。
でも蓋を開けてみると全くそんなことはなく、「あの人だけですよ!そんなこと言ってるの!あの後、別のプロジェクトでやらかしてくれたおかげで、だいぶ干されましたよ。もう関わる機会はないと思います。」
と、知らない間に去ってくれていました。w(つわりとは全然関係ない話ですがw)
私が普段仕事をしているフロアは女性が多かったので、「女性である以上何があるか分からないから、同じことが起きた時に嫌な顔されたら絶対に耐えられない」と言って理解を示してくれました。
まとめ:環境と気力でなんとか乗り越えることが出来た!
私の重症妊娠悪阻期間は、家族の献身的な対応と周囲の理解で、とにかく環境に恵まれていたと思います。
布団の中で重症妊娠悪阻について色々と検索しているときに、私よりもずっと心ない言葉をかけられたり、配慮が足りない環境下な方もたくさんいるように見受けられました。
重症妊娠悪阻の時、もしも私一人だったら乗り越えられなかったと思います。



つわりの症状に個人差はあるかと思いますが、動けない妊婦さんが少しでも心も身体も休まるような社会が広がったら嬉しいです。
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